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プロフィール

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メビウスの帯 〜懐かしき未来の日々へ〜
ブログ紹介
博徒一家の血を引く、一見チャラいが実は硬派な男の昨日今日明後日
ってか、明日はドコ?!w


日本の渡世人の家庭とアメリカの黒人社会。この2つの世界を行ったり来たりして育った。

日本人と黒人の混血として、義理・人情を重んじる古い日本的な稼業の家の慣習と
アメリカ文化の狭間でコインの裏と表のような人生を過ごし、常に「一体俺は何者か?」と
自分に問いかけて来た。

ここらで過去を辿ってみよう。現在、そして未来の俺に繋げていくために。
俺の未来は過去にあり、過去はまた未来にある。メビウスの帯のように。

そんなワタシの日常チマチマ日記。

日本の実家での任侠なエピソード、混血であるコトやアメリカでの食べ歩き、
最近ハマっているバンコクへの家族旅行、趣味の沖縄三線の話など、
時にはアツク、時にはゆる〜く語って行く予定。
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セネガル里帰り再び!そして結婚!

2017/04/02 11:32
またまた数年ぶりの更新&報告☆

いつもはこの時期、タイに1ヵ月行っているが今年は
2度目のセネガルに1ヵ月ちょい行って来た。久しぶりに
家族と過ごしメッチャ楽しかった。

そして結婚。相手はセネガル在住のセネガル人女性だ。

ぶっちゃけ今回の1ヵ月ちょっとは俺の人生で最も幸せな
時間だった。結婚に浮かれて言っているワケではナイ。
20歳で最初の結婚をしてから結婚はこれで3回目だ。
前2回は離婚に終わったが、最初はそれなりに幸せだったし
他にも結婚には至らなくても付き合った女性もいてその時も
それなりに楽しかった。恋愛以外でも今まで毎日割と楽しく
過ごして来たと思うが、ここまで超絶幸せだったことはなかった。
ヒトってこんなに楽しくHAPPYになれるモンなんだ、と驚いた。

そもそも俺は恋愛至上主義ではナイので、いつも恋愛していないと
落ち着かないタイプではない。むしろ自分のやりたいことのためには
色恋なんか邪魔だ、と思っている。でも今の嫁と出会って一緒に過ごし、
本当に大切な人と共に歩む人生っていいなぁ〜とつくづく実感した。
これからもお互いの夢や将来の計画をすり合わせつつ、一生仲良く
幸せに暮らしていきたい。INCHALLAH。

そして結婚とは関係なく、今回の滞在でやっぱり俺はセネガル人だと
更に確信した。セネガルに住んだことはないし、行ったのも今回で
2度目だが、やはりダテに子供の頃からセネガル人家庭で過ごし
NYのセネガル人街で育ったワケではないのだ。考え方、話し方、
身のこなし、文化、食事、宗教、生活習慣、知識、どれを取っても
俺はやっぱりセネガル人だ。


嫁と俺

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俺の家族と嫁と俺。知らない人にはきっとセネガル人女性と結婚したアジア男と
嫁家族に映っていただろうが、実際は嫁でなく俺サイドの家族だ。なんでも見た目で
勝手に判断してはいけないという例w 

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セネガル旅日記LINK

2015/12/28 08:35
早速英語版はFBに、日本語版は以前ここでもLINK貼った
マレーシア旅行記を書いたSITEに投稿した!よかったら
見てください☆

https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11088282/
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 1


いよいよセネガル里帰り!

2015/12/27 10:35
2015年11月27日〜12月16日まで
やっとセネガル里帰り旅行に行って来た。

行く前に偶然、日本のTV番組で日本在住30年とか
いう外国人や日本で生まれ育った親が外国人という
子供たち(と言ってもほぼ大人)が全く初めてOR物心
ついてから初めて親の国に里帰りして、それまで
あまり関心がなかったルーツに触れるというものを
いくつか観て、自分もセネガルに行ったらそういう
カンジかなぁ〜?それとも実際に行ってみたら全然
違う、やっぱここは俺の国ぢゃね〜と思うのか、、?と
多少の不安を持って訪れたのだが、実際行ってみたら
文化や雰囲気からやはり俺の知ってるセネガルその
まんまで、行って2日目でもうまた来たくなった!

たった2週間半の滞在だったが、長年写真や電話での
声のみでしか知らなかった家族同様の人々と実際に
会い、話し、一緒にメシを食ったり寝たりして、マヂで
やっぱりセネガルは俺のルーツだと思えた。今まで
日本、アメリカ、台湾、香港、タイ、マレーシア、どこに
住んでも行っても、楽しくはあってもそこが自分の国、
文化とは思えなかった俺が、セネガルはNYで25年以上
セネガルコミュニティーやセネガル人家庭で暮らしていた
せいか、フツーにスッと入り込めた。

今回の旅で俺は100%セネガル人だと言い切れると
確信した。

来年の恒例タイ里帰りチケットはもう取ってしまっているので
2−3月の1ヵ月はいつものようにタイで過ごすが、もしまだ
タイのチケット取ってなかったら、再度セネガル1ヵ月行ってた、
絶対。残念。だけど、もちろんタイだって大好きだしね!こっちは
文化的に自分がタイ人とは思えないけど、見た目で相手が勝手に
タイ人と思ってくれるので心地よくて好き。家族ぐるみの友達一家も
いるし。

というわけで、今後はタイORセネガルに引っ越すまでは、
1年おきにタイとセネガルに1ヵ月ずつ行くぞ。

そのうちセネガル旅行記BLOGもどっかで作るので、できたらまた
ここにLINK貼ります。ここに書いてもいいけど、ここはあくまで任侠
BLOGにしておこうかな、とw


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やりたいことリスト そのB

2013/12/11 13:21
と、言うわけでこないだ、やりたいことリストその@と
AをUPした。今日はその第3弾にしてラスト。

コーランの章句114章までを全部正確に暗記する。

正直今までずっとムスリムでありながら、特にすごく宗教熱心と
言うわけではなかった。なので暗誦できない章がほとんど。
アラビア文字はなんとかわかるので、読むことはできる。でも
暗誦はできないのだ。暗記も大の苦手だしね。今更コーラン
朗読大会で優勝するまで、とは言わないが、どのSUURA(章)と
言われたらすらすら何も見ず全部言えるくらいにはなりたいと
いう意味だ。今後はちょっと真剣に取り組みたい。

それと同時に、前回の内容と少しカブるが、俺はセネガルの
民族衣装が大好きで、本来なら毎日どこに行くのにも着て
行きたいくらい。でもセネガル本国の純セネガル人でも
俺の年齢で毎日民族衣装という人は皆無だ。もっと年上でも
特に男は普段着はジーンズにシャツ、またはスーツだ。いつも
民族衣装を着ているのは、カナリの年配者で尚且つけっこう
敬虔なイスラム教徒という人ばかりだ。

モチロン一般の若者もイスラムのお祭りや身近な人の冠婚葬祭
などでは民族衣装を着る。俺もその時はフツーに着ている。でも
何もない時は俺の周りのセネガル人も皆フツーの格好だ。

ただでさえ、俺は見た目はセネガル人には見えない上、実年齢
よりもカナリ子供っぽく見える。しかもそこまで敬虔なイスラム教徒
でもない。この場合の敬虔というのは、メッカに巡礼も行き、人の
悪口も言わず悪態もつかず、1日のほとんどをALLAHとの対話
(お祈り)で過ごしているような人のことだ。それができてないのに
民族衣装で毎日過ごすのはなんだか大げさなカンジで不釣合い。

なので、今日決めた。

コーランの章句を全部暗誦できるようになったら、その日から
毎日民族衣装を着て過ごすことにしよう、と。もちろん着たく
ない時は着ないけど。暗記苦手だし、コーランは奥が深いので
何十年もかかるかもだが、全ての章句が全部暗誦できる頃には、
中身もそれに伴っていることを願いつつ、今、そう決めた。


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やりたいことリスト そのA

2013/12/10 13:20
タイに移住したいとうわ言のように言い続け7年
ほどが立っている。でも全く移住のメドは立って
いない。

まぁNYの生活もなんだかんだ言いつつも意外と
快適で、特にそこまで不満もなく生活している
からだろう。

でも実はもう1つだけNYを離れるのをためらう
理由があった。なんとなく解決策がみつかりそう
なので、過去形にしたが、それもうまく行く保証は
ナイ。

それは、NYにあるようなセネガルやアフリカンの
コミュニティーがタイにはないからだ。バンコクの
アラブ人街を歩くとアフリカ系の人たちとすれ違う
ことはあるが、NYのようにレストランや布地屋、
学校などがあるほどにはたくさん在住アフリカ人は
いないと思う。だいたいが買い付けなどで来ている
短期滞在者が多いようだ。

タイのニュースなどをみるとアフリカ人のDRUG 
DEALERが多い印象があるが、それはまた別の
ハナシ。これは書くとまた更に長くなりそうなので
割愛。ひとことだけ言わして貰えばNEWSで報道
されてる程、アフリカ人だけがDRUGやオーバー
ステイの問題を抱えているわけではない、ということ。

どっちにしてもNYに比べてバンコクはアフリカ人の
絶対数が圧倒的に少ない、つまり俺に取っては
アフリカ文化に接する機会がグッと減るということだ。

それがけっこうネックになっていた。でも友達に言ったら
「タイでセネガルレストランでもやればいいぢゃん!」との
ことで、そうすれば、自然とアフリカ人も集まって来て、
自分でそういうコミュニティーを探さなくても自分の店が
溜まり場になってくれるかも知れない。でもビジネスやるの
大変そうで、サラリーマンのが楽でいい!と思っている
俺には向かないかも知れないが。。でも、まぁそういう道も
ある、と頭の片隅に置いておくことにする。

なので、もしそれがうまく行けば一石二鳥。タイで暮らすための
仕事&アフリカ人の溜まり場の2つがイッキに手に入るのだ。

そんでその仕事が軌道に乗ったら、それを貯めた金で
セネガルに学校を建てる。たぶんダカールのような都会では
なく、あまり学校に通う機会がない子供らが多そうな地域に。

モチロン、ただの学校ではなく、アフリカの歴史や文化、言葉
などを中心に教える学校だ。アフリカは北のアラビア語圏と
東のエチオピアを除いては文字がないので、どうしても書き言葉は
フランス語や英語など元植民地の言葉になってしまう。以前
アラビア文字を使おうなどという運動もあったが、クリスチャンも
多いので、必ずしも賛成意見が多いわけではなくなかなか
形にならないで今に至る。

今となっては好むと好まざるとにかかわらず、英語やフランス語は
できても損はないし、敵(?)にいいように使われないためには
敵の言葉が理解できればそれはだいぶ減ると思うので、俺は
英語やフランス語教育はやってもいいと思っている。しかも1つの
国にいろんな民族の暮らす国がほとんどなアフリカ諸国は地元の
言葉1つにしても、多様なので1つに絞るのも難しい。まぁ1つの
国にいろんな言語の民族が混ざってしまったのは、ヨーロッパの
植民地政策にも原因はカナリあるのだが。ここではそんな
恨み言を言っても話が進まないので恨み言はまた今度w

とにかく言語はどうあれ、アフリカ的価値観の教科書で
学べるようにする。つまり、今まではセネガルで言えば
教科書はフランス語でフランスからのものを使っていれば
出てくる人は、ミシェルやジャン、ギョームなどフランス人の
子供たちで、フランスの習慣に則った内容のモノで勉強
させられていた。挿絵も金髪の子供の絵ばっかりだったり
して。実際にはその教科書を使っているのは、ウスマン
だったり、ビントゥだったりアブライするのにも関わらず。。
そしてフランス中心でキリスト教的なモノの見方を知らず
知らずのうちの押し付けられる。95%以上の国民が
黒人のイスラム教徒なのに。そんなのおかしいだろ。

というわけで、まずは教科書から変える。最近では
セネガルも小学校まではセネガルで作られた教科書で
勉強しているようで、そんなことはないようだが。高等
教育以降は相変わらずフランスからの教科書を
使っているようだ。まずはそれを廃止。幼稚園から
大学院まで、アフリカ人のための教科書で勉強する
べき。ちゃんとアフリカ人の視点からみたアフリカ史や
世界史などもしっかり教えて欲しい。あとは俺はムスリム
なので俺が作る学校ではコーランやアラビア語やイスラム
的価値観のクラスも当然義務。生徒の宗教はなんでも
通えるが、このクラスは義務なのでイヤならヨソの学校に
通って貰う。別の宗教が学べる学校はその人たちが建て
ればいい。まあ一部地域を抜かしてほとんどの国民が
イスラム教徒なのでその問題はあまりなさそうだけど。

ついでに自分たち民族の言語や踊りが楽器なども
選択で選べるようにする。ついでに三線も教えちゃおうw 
沖縄から講師呼んだり交換留学なんかもしたりして。
と、以前、NYの三線仲間で盛り上がったっけ。これも
実現する!

1つの学校がうまくいったら2つ目の学校、他の街、
アフリカ全土、と次々に広げて行く。というこんなプランだ。
いや、プランなどというおとなしいモノではなく、野望だ。

モチロン、貧しいからかわいそう、とかいう変な同情や
「援助」という気持ちはイッサイない。俺にとってアフリカは
そういう他人事ではナイのだ。

俺に取ってはセネガルは故郷(ふるさと)だから今の俺が
なんとか幸せに暮らしてる恩返しとして、何か役に立つことを
したいし、アフリカ人や黒人の文化や人々の良さが今の白人的
価値観中心の世の中で正当に評価されていないと思うので、
それをただしたい。

今のところ知る限り自分の子供もいないし、たぶんこれから
作る気もないので、せめて故郷(アフリカ)の人々の役に立つ
モノで長く残るモノ(形としてだけでなく心にでも)を作り残し
たいというのが理由かな。


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やりたいことリスト その@

2013/12/06 12:57
まず最初に今日はNELSON MANDELA氏が
亡くなったというNEWSを夕方きいた。まだ会社に
いた時だ。年齢も年齢だし(95歳)長い間病気だった
ので、仕方がないとはいえ、1つのHISTORYだった
なぁと思う。本当にお疲れ様でした&ありがとうござい
ました。貴方の業績は一生忘れません。という言葉を
送らせていただきたい。

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話は変わって。こっからは俺の個人的なハナシ。

自分がナニモノで今後どう生きて行きたいかが最近
やっとクリアに見えて来たと、こないだ書いたが、その
1つを今日は書く。

一応BLOGという形で一般公開はしているが、ただの自分のための
覚え書きなので超個人的な内容だ。あとゲンを担ぐわけではないが
なんか皆に話してしまったら実現しないような気もしてちょっと気が
引けるのだが、そんなんでダメになるならきっと別のことでもダメに
なってしまう程度のモノだろうから、あまり気にせず書くことにする。

まず、自分がナニモノがと言うことだが、やっぱり俺は
アフリカ、中でもセネガルのカルチャーが自分の中では
シックリくる。

実際の血はアメリカ黒人と日本人だが、日本では色が
皆より黒いということで、イジメまでは行かないが、なんか
変人扱いを子供の頃からされてきた。肌の色のせいだけ
ではなく、家が4代続くヤクザということや、アメリカと日本を
行ったり来たりして育ったり、またアメリカでもハワイという
本土よりはアメリカっぽさに欠けるというような特殊な環境
だったりで、当時周りに帰国子女という人たちやミックス
(ほとんどが俺のようなクォーターでなくハーフだったが)
という人たちもいるにはいたが、そのほとんどが欧米、つまり
白人とのハーフや白人の国からの帰国子女だったこともあり
その中でも異端だった。あとは自分の持って産まれた性格も
あるかも知れないが。

とにかくアメリカに来て黒人の中に入れば自分は排除される
側や少数派ではなく、多数派のほうに入れるとばっかりずっと
思ってきた。18歳で1人NYに引っ越して来るまでは。

NYに引っ越して来た時、ハワイ(米軍基地以外にあまり黒人は
いない)と違って黒人がたくさんいるNYに住むことになってとても
嬉しかったし楽しみにしていた。

でも実際来てみたら、それほど歓迎はされなかった。例えば
当時黒人の若者の間で流行っていたマルコムXのXをかたどった
帽子やバギーなカッコ、ドレッドヘアなどをしたり、アフリカ的な
(完全な民族衣装ではなく、あくまでもアフリカっぽいというか
アメリカ黒人が思っているアフリカ的ファッション)格好をしていると、
アメリカの黒人から「アジア人のくせになんで私たちのファッションを
取るの?」的な視線やイヤミを言われたことも何度かあり、また逆に
褒めて貰えたとしてもあくまでも「黒人文化の良さがわかる珍しい
アジア人」的扱い、つまり黒人とは見られていない、という現実を
突きつけられ、血は1/4だけどすっかり自分では中身はほとんど
100%アメリカの黒人、とそれまでずっと思って来た思いがすっかり
しぼんでしまった。

モチロン俺に黒人の血が入ってるとわかると、黒人とみなして
仲間扱いしてくれる人たちもいたが、全体からすると少数だった。

とにかくそんなこんなで、ずっと自分がその一部だと思っていた
アメリカ黒人たちからヨソ者扱いされて、ショックを受けている
ところへ、NYのセネガルコミュニティーの人たちと知り合った。

彼らは本国アフリカで、元ヨーロッパ植民地ではあったものの
アメリカの黒人ほどは白人から迫害されていなかったせいか
アジア人の見た目の俺がアフリカ的なファッションをすることに
なんの抵抗もなく、すんなり仲間として受け入れてくれた。
もちろん見た目がアジア人なので、最初は「なに、コイツ?!」
的な人もいることはいたが、数も少ないし、家族のように仲良く
なったセネガル人たちが「自分の息子だ」「弟だ」などと皆に
紹介すれば、皆も「ウソだろう!見た目違うし!」などと無粋な
ことは言わず、「ああ、そうなの?」と言ってすぐ受け入れてくれた。
モチロン、本気で息子や弟と思っていたわけではないが、
そんなことはどっちでもいい、とにかくアンタは俺たちの一員だ、
という扱いだったので、俺もとても居心地がよかった。その頃
いろいろな事情で日本の親ともけっこう疎遠になっていたので
余計にセネガル人の中にお互いに家族と呼び合える人たちが
できたのは嬉しかった。

でも1番かわいがってくれた母親のようなカンジだった
おばさんが急死したり、セネガル人と離婚したり、他にも
兄弟のような関係だった友達が別の州に引っ越したりした
のと、他にも俺の個人的な事情もあり、しばらくセネガル
コミュニティーから離れた。

その頃ちょうど日系企業に就職したこともあり、だんだん
日本人の友達が増え、日本人コミュニティーにもだいぶ
出入りするようになった。どっぷりという程でもなかったが。

その後タイに旅行に行ったら、予想外に気に入ってしまい
毎年行くことになったり、沖縄の三線を始めたこともあり
アジア系や日本人(沖縄人)の友達も増えたので余計に
アフリカコミュニティーとは遠ざかることになった。意識して、
ではなく自然に。

それから今に至るので、今もけっこう日本人の遊び仲間は
多い。でもやはりその間も自分を日本人とは思ったことは
1度もなく、ただ俺のような見た目がアジア人というヤツが
日本人の中にいる限りは、日本人のふりをしていたほうが
溶け込みやすいカンジがしたので、あえて黒人的な部分は
主張しなかった。MIXEDだということは言ったがあくまで
中身は日本人と相手に思わせるような言動をしたり、
へたしたらMIXEDということすら言わなかったりもした。

日本人以外の人々、白人や黒人なども俺の見た目から
俺にアジア的、日本的なモノを求めるので余計に日本人の
フリ、日本文化を自分のモノにしてる人のフリをしたほうが
楽かなと思ったけど、やっぱそれは俺の本当のカルチャー
ぢゃないのでムリ。やっぱりどう考えても俺の1番シックリ
来て、俺をあらわせて受け入れてもらえるカルチャーは
セネガル(アフリカ)なのだ。

そう再認識した数年前から「リハビリ」と称して再度NYの
セネガル人コミュニティーに入り込んでいっていた矢先、
やっと重い腰をあげて部屋の大掃除をしたら20年以上前の
セネガルの新聞が出てきたり(モチロン俺が読んでいた)他にも
服、アクセサリー、雑貨、雑誌、家族同様だったセネガル人たちとの
写真や彼らからの手紙など、いろんなモノが出て来て「俺って
こんなにもセネガル人だったのか!」と自分でも驚いた。他にも
アメリカ黒人絡みのモノもたくさん出て来て、今回どれも古いモノ
なので全部捨てたけど(21年前のセネガルの新聞と写真以外)
こないだからくすぶり始めていたセネガル人宣言に拍車が
かかった。

今までは、ただのカブレたイタイヤツ、とか思われたり、日本人や
アメリカ黒人からの風当たりを気にして遠慮していた部分もあるが
これからは、堂々とそういった生き方をしていこうと決心した。と
いうか、決心という大げさなものというより、自然にそう思えた、と
言ったほうがより正確か。

実際、日本人やアメリカ黒人たちがどう思おうと、当のセネガル人
たちからは最初こそ「アンタ、なんでアジア人なのにWOLOF
(セネガルの言葉)しゃべれんの?」などとヨソ者扱いされても
「なに言ってんだい、俺はセネガル人だからしゃべれるにまってる
ぢゃん!」と言ってしばらくしゃべれば、皆、「やっぱアンタは
セネガル人だな」と言って来てヨソ者扱いは皆無になる。だから
なにも他人、特にセネガル人でもないヤツの思惑など気にして
遠慮することはないのだ。

数年前会社の同僚でちょっと空気が読めないオッサンが、俺が
MIXEDで日本とアメリカを行ったり来たりして育ったのを知って
いるにもかかわらず、「今度皆で自分のカルチャーのモノを
身に着けてくる日を作ってなにかイベントやろうよ!」と言った
ことがあった。その人自身は東南アジア出身で大人になって
からアメリカに移民してきたいわゆる1世だ。

その時の俺は。自分の心は100%なんの迷いもなく俺の
カルチャー=セネガルの民族衣装と思っていたのに、たぶん
どうせ皆、俺が日本のモノを身につけてくるのを期待するんだろう、
という絶望的な気持ちから、「ヤダよ。俺みたいなMIXEDのヤツは
何を着てくりゃいいんだよ」と言って反対したことがあった。それが
理由かは知らないが結局そのPLANは立ち消えになってしまった。
でもその時のその人の答えはおもしろかった。普段はこの人の
発言がおもしろいと思うことなど全くないのだが。。

「複数のカルチャーのモノ全部身につけてくればいいぢゃん!」
と言ったのだ。そしたら何になるかな、セネガル、イスラム、タイ、
ハワイ、日本、アメリカ黒人、沖縄。これを全部いっぺんに身に
つけたらもうそれこそ何がなんだかわかんなくなって、それがまた
俺を正確に表してるようでイイかも知れない、と思った。

つか、吹っ切れた今となっては実は、是非このイベントやりたいと
思っている。今なら誰の思惑など気にすることなく、堂々とセネガルの
民族衣装1本で行けるからだ。


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誕生日を迎えて

2013/12/05 13:13
数日前誕生日だった。いつもこれといって特に感慨などは
全くないのだが、なんか今年の誕生日の朝はいつになく
スッキリと目覚めた。

当然フツーに仕事に行ったのだが、新しい年齢を迎えた朝
起きて1番で聴く曲はセネガルのイスラム教のお坊さんが
作った預言者ムハンマドを称える歌を聴くことにしてMP3を
セットして自宅を出た。帰りもそのまま聴いて帰った。

そのせいではないだろうが、今までの誕生日と違いフレッシュな
スタートという気がすごくする1日だった。またそういう感覚を
大事にしたいとも思った。別にキリがいい年齢というわけでも
全くないのに、なんでフレッシュスタートな気がしたのか不思議だ。

今までの誕生日は1度も特別な日という気は全然しなかった。
キリのいい年齢を迎えたときですらそうだった。特に誕生日が
イヤということも全くなく、ただなんとなく、フツーの日と同じ、ただ
ちょっと余分にケーキや豪華な食事が食えたり、プレゼントや
カードやおめでとうという言葉やHUGが貰えたりという程度の
違いはあるが、まぁそれだけというカンジだったのだ。

でもなんか今回はちょっと違うカンジがした。うまく言えないが
上にも書いたがすっごくフレッシュな気分がしたのだ。

誕生日の2-3ヶ月くらい前から、これからどういうふうに
生きて行きたいのか、けっこう見えて来たというか確信が
持ててきたというか、う〜ん、生きて行きたいというとすごく
大げさで違うカンジだけど、まぁ、簡単に言うとそういうことか。

つまり、自分がいったいナニモノでこれからどうして行きたいOR
生きたいか、ということを真剣に考え出したというかクリアに見えて
来たというか。

その見えて来た内容はまたこれから書くとして、とりあえず
そんな心境の変化があったというか、遅ればせながらだろうが
そんな決心というか、やっとやりたいことや方向性がハッキリ
見えて固まって来たということか。孔子でいうところの、もう
迷っていてはいけない年齢に近いということで、これでちょうど
いいのかも?!



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組長襲名なうw

2013/11/04 13:10
今日友達と話していて、ハナシの流れから、
昔ウチにいた若い衆たちとFBなどで繋がっているか?
と質問された。

答えから言うと繋がっていない。まぁフツーに考えて
当時うちにいた若い衆たちも今はいい年だ。ケータイで
メールくらいはやってるだろうが、FBとかTWITTERは
やってないだろう。 たぶん。。 

モチロン俺も含めて、親がヤクザって人たちは大抵が
フツーにBLOGなりFBなりTWITTERなりをやっているだろう。
実際、知り合いのヤクザの子供たちもほとんど皆やっている。
当然ながら彼らの話題は組のことではないが。

自分がヤクザという人たちも若い世代はフツーにやっているハズだ。
でもやはり話題は自分の趣味のことであったり友達や家族と繋がるため
だったりで、組の話題には触れていない&自分が組関係と言うことも
公表していない人がほとんどだと思う。

時々元ヤクザという人が昔の現役時代のことなどを書いてBLOGを
やったりしているから(そういう意味では俺のこのBLOGも似たような
モンかw)ウチにいた若い衆たちも絶対にやっていないとは言い切れ
ないが。

まぁでも、皆さんにとってもそうだろうが、俺の中ではヤクザが
BLOGやTWITTERに文章や写真をUPしている姿は、当時ウチに
いた若い衆たちや中学時代に世話になった組の人たちのことを
思うと、どうもイメージにあわない。

実際、当時のウチの若い衆たちからFBのフレンドリクエストが
来たことはない。

それにまさか彼らが”組長襲名なう”とか”カシラ(若頭=組の#2のこと)の
仮出所キタ━━━(゚∀゚).━━━!!!”とか書かないだろう。。




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組関係者の死

2013/09/10 03:57
この1年程で、昔の知り合いの組関係の人が3人も亡くなって
しまったことがこの週末実家に電話をしてわかった。3人とも
もういい年とは言え、そんな立て続けに3人も逝ってしまう
なんてショックだ。お陰で昨日は一日中なんか何もヤル気
出なかったし、昨日の夜も30分おきくらいに何度も目が覚め
ほとんど眠れなかった。

今日も朝からなんか凹んだ気分だ。まぁ月曜の朝というのも
あるがw つか昨日からずっとなんか凹んだ気持ちだった理由が
コレっていうのはついさっき思い当たったんだけど。特に何か
イヤなことがあったワケでもないのに、こんなダウンな気分が
続くなんておかしいなあと思っていたのだ。続くと言っても
まだ24時間も経っていないが、イヤなことがあってもスグ
忘れる(2時間くらいで)俺にしては珍しいし、特にイヤな
こともなかったので原因が思い当たらず、余計にモヤモヤ
していた。平日の昼間オフィスの休憩時間にこんなブログを
書いていること自体、よっぽどのことだ。普段家ですら
滅多に書かないし会社ではブログの存在も忘れているのに。

原因がわかっただけでだいぶスッキリしたがやっぱ気分は重い。
そこまで親しく絡みがあったワケでもないのに、なんでこんな
気分になっているのか、自分でも不思議だがたぶん原因は

皆もう若くはないとは言え、というか逆に母と同世代の人たち
ばかりなので、いつかはそういう日が来るんだろうなと思って
しまったこと。今は嫁もいないし、俺が知ってる限り子供も
いないはずだ。一人っ子だし父は小学生の頃に他界したので
母がいなくなったらマヂ1人だ。かと言って今更3回目の結婚
するのも面倒だし、子供もいらん。女と同棲位ならいいけど。

それ以外にも今回死を知った3人とも少なくとも約1年〜半年
くらい前に亡くなっているのに俺にはついこの週末に知らせ
られたこともモヤモヤの原因かもしれない。今は暴対法や
暴排条例などもあり、昔ほどハデなことは出来ないし、俺も
実家も亡くなった人々ももう現役の渡世の人間ではないので、
当たり前とも言えるが、組関係の人たちがいなくなりその連絡
さえもロクに来なくなることによって俺の居場所がドンドン
なくなって行く気がする。特に日本の生活に全然馴染め
なかった俺に取って、唯一の日本との繋がりはヤクザの世界だ。
ここになら確かに俺はいたといえる。組との繋がりが弱まり
この人たちと共に俺の存在も薄くなって行く気がするのが
イヤなのかもしれない。


と、ここまでさっき会社でケータイからUPしたけど、今家に帰って
追加を書こうと思う。普段ケータイでBLOG UPしないのと
一応仕事中だったので、内容忘れないうちに急いでUPしようと
思っていたので、書き忘れていたこともあった。なので今、追加。

んで、↑で書いた亡くなった3人に関して言えば、皆それぞれ
立場は違えど、現役時代は皆カナリのところまで上り詰めた
人たちで、、もちろんいいことばっかぢゃなかっただろうけど、
それに生き物は誰でもいつかは死ぬけど、なんか死と彼らが
結びつかなかったというか。。モチロン不死身とは思ってなかった
が、やっぱり死とかは似合わない人たちだったから余計に
ショックだったのかも。

それとこの3人の死を知ったら、ますます、以前もBLOGに
書いた死ぬまで会いたい人たちに会わないといけない、せめて
会えるようになにか行動を起こさなければいけない、と改めて
強く思ったんだけど、今の俺にはまだスグには行動に起こせ
そうもなく、まぁできることはあるんだけど、それでもまだ気持ち
的にも準備ができてる状態ぢゃないというのもあり、まぁズボラで
臆病なだけかも知れないけど。。そんなで気持ちばかり焦ると
いうのもあり、あんまテンションってなかったのかも。

つか、今はもう全然フツーなんだけどw 

あと、さっきは女と同棲くらいならしてもいいって書いたけど、
やっぱヤダw ただ付き合ってるだけでいーや。別々の家で。
同じ家だったとしたら超広いところで間に3〜5部屋離れて
いたらいいかな。一番いいのは、同じアパート(日本でいう
マンション)の別のフロアとかが1番いいかな。 それも一応
追加で言っておくwww


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映画「冬の華」

2013/09/01 11:58
FBで繋がってる人はあっちで俺がUPしたヤツを見たかもだが、
こっちにも書いておく。あっちでは詳しいことは書いてないので。

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これは母がお気に入りの映画だ。母は映画公開時に観て気に
入っていたらしく、TVで放送された時に観ようと思っていたらしい。

覚えているのは、母とチャンネル争いをして珍しく俺が負けムリヤリ
観させられたのだ。以前も書いたが俺は子供の頃からあまりTVと
いうモノを観なかった。なのでなんでチャンネル争いになったのかも
わからんし、たまにチャンネル争いになっても大抵俺が観たいモノを
観せて貰っていたので、なんで負けてコレを観るハメになったのかも
覚えていない。

もともと父も母も曾祖母もそんなに任侠映画のファンというわけでは
なかったし、俺も子供時代に任侠映画はほとんどみたことがない。
なのでコレが俺に取って最初の任侠侠映画&母と一緒に観た子供用
アニメ以外の最初の映画だと記憶している。

その頃父はもう他界していたが、まだ若い衆たちは実家に住んで
いたので、チャンネル争いで母に負けた俺はまず曾祖母の部屋に
行ってみたが、曾祖母の部屋でも同じ映画がかかっていて、また
若い衆たちの部屋でも皆コレを観ていたので、諦めて母がいる
リビングのTVの前に戻った。

詳しいSTORYはあまり覚えていなかったのだが、母に「とにかく
いい映画だから観ておきなさい」と言われ、イヤイヤ観てみたら、
意外といい映画だったというのは覚えている。俺の予想していた
切った張ったの任侠映画ともなんとなく違っていたし、子供心にも
なんだかいろいろ意味がある映画に思えた。

そんで、今年の2月にタイに行く直前にこの映画のDVDをNETで
見つけて懐かしくて早速購入した。高倉健の映画だが、マイナー
らしく、今までも何度かこっちのレンタル屋や無料動画サイトなどで
探したが見つからなかった。でもたまたまNETでゲットできたので
実は今年の2月タイに行く時にコッソリ持って行った。母を驚かそう
と思ったのだ。そんで一緒に観ようと。んで、持って行って驚かす
まではよかったが、「一緒に観よう」と言ってて、ナニゲに時間が
なく(1ヶ月もいたのに!!)結局俺が持って帰って来てしまった。
母に渡してもよかったが俺としてはこの映画はどうしても一緒に
観たかったので。

んで、来年2月のタイで一緒に観るつもりで、NYに戻ってからも
1人で観ることはなかったが、おとといのBLOGにも書いたように
最近また自分の小説を読み返したりイロイロ当時の任侠WORLDに
思いを馳せることが多いので、コレも観てみることにした。

そしたら、やっぱりよかった!

そんで、子供だった当時にはわからなかったいろんな意味がこの
映画には隠されてる気がした。

以下ちょっとネタバレ(感想文とかは大嫌いなのでマヂちょっとだけ)
だけど、どういうところがそうだったから少しだけ書く。

        

抗争や引退を考えていた親分が殺された時の周りの騒がしさや
あわただしさなんかはすっごくリアルだったと思う。あと皆が乗ってる
車やファッションや髪型も俺が子供の頃周りにいた人たちっぽい。

カタギの人にはわかりにくい渡世の義理とやらで人を殺したり
そんで何年も服役したり、などもそういう世界を美化している
ワケではなく、そこで育った俺には彼らの論理というか思考回路や
行動もわかる気がするのだ。それが一般的な今のモノサシで
正しいか間違ってるかは別として。

そういう一般には通用しない考え方があっちではまかり通っている
というか。そっちのがむしろ正しいみたいな。俺も自然とそういう
感覚が身についてしまったのか、一般の人たちの中にいると
その人たちの態度や反応に「フツーそういうことしねえだろ、
こうだろ!!」と思うことが多々あり、物心ついた頃から今に至る
までイラっとすることも多いが、それはそういうことだったのかも
知れないなどと思ったり。

また、親分の1人息子でカタギの仕事についてる人が、親分が
殺されて復讐に燃え、周りにとめられるところとか。んで、息子の
計画を知った主人公が「あの人は親分の息子とは言えカタギの人だ。
この件(復讐)はシロウトには関係ねえ」と弟分に言うところとか。
この辺は今思うと、母が俺に1番見せたかったシーンぢゃないだろうか。

冒頭で出てくる風車は、この映画の細かいSTORYは忘れてしまっても
俺の記憶に強く残り、その後中学に入って世話になることになった実家
とは別の組の人で、息子のようにかわいがってくれた人とも風車絡みの
出来事があったこともあり、風車=任侠の世界を思い出させるモノに
俺の中ではなってしまった。あ、ふうしゃ、ぢゃなくてかざぐるまねw

なので、以前、俺が背中1面に和彫りを入れた時も、実はメインになる
般若の周りに風車を入れてくれるように頼み図案も起こして貰った。
でもやっぱ伝統的な組み合わせのがいいかと思い直し、結局風車は
止めてもみじにして貰ったのだが。

以上、ネタバレ終わり。

話それるけど、実はその時に俺の中には、般若、風車、そしてアフリカの
貝(よくアフリカやカリブみやげのブレスレットやネックレスなどにくっついてる
白い楕円みたいな貝)をサクラのように般若の周りに散らして貰おうと思って
いたのだ。やっぱ俺が黒人なのは(クォーターとはいえ)俺の中ではシカト
できない要素だし、今度もそれは変わることない。自分を日本人と思った
ことがないといつも言ってて、それは本当なんだけど、もしヤクザの世界が
すごく日本的なモノであるというのなら、やっぱり自分は日本人でもあると
自然に思える。和彫りはせっかく日本の血が3/4も入っているのに全然
日本人と思えない自分に対してせめてもの日本の家族との繋がりという
意味で入れたワケだが、(俺に取っては日本の家族=任侠界の人間、と
いう認識なので)黒人的(=アフリカ)な要素も入れたかったのだ。でも
彫師の先生が和彫りのこの図柄(アフリカの貝)はありえないと言ったので、
どうせなら本格的にと思い入れなかった。アフリカの貝も入らないなら
風車もいいや!と思ったというのもある。

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とにかくいろんな意味で考えさせられた。皆さんもチャンスがあれば
是非観てみてください 俺も来年のタイ行きにはまた
持って行って今度こそ必ず母と一緒に観ます。




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任侠道!

2013/08/30 09:33
なんていうタイトルにしたが、別にあんま意味はナイ。
つかメッチャ久々なんでスイマセン。。せっかくちょっとは
このBLOG楽しみにしてくれてる人もいたのに、今では
きっと忘れられてるハズ!!

でもこれからまたちょっとずつだがUPしてくつもり。

俺のほうは元気でやっています。相変わらず、仕事、
食べ歩き、海、セネガル、タイ、沖縄、ヤクザ。。な毎日デスw

特に変わったこともナシ。

しいて言えばラマダンも無事終わり、セネガル人に戻る
リハビリにますます拍車がかかっている。でも時々ふと
日本の任侠界のことを思い出して懐かしい想いに浸ったり。。

それでかどうか、最近、超久々に俺が高1の時に書いた
小説(一応任侠モノ)を読み直した。前にもここにLINKを
何度か貼ったのでもう貼らないけど。つか、LINK自体は
このBLOGの横にあるので気になる人はどうぞ。実話を
元にした自伝的STORYっす。

BGMに普段は聴かない静かなPIANO曲などをYOU TUBE
からダウンロードして、それを掛けながら読んだらけっこう
入り込んだ。自分で書いたモノなのにwww

主人公の性別も地域も出てくる組の規模や形態も、事件が
起きた時の年齢や季節も全部変えてあるのに、なぜかSTORYが
目の前で起こってるOR映画を観てるみたいにクリアに浮かんで
きた。

不思議

そんなカンジで最近また昔の実家の組のことなどを思い出したり
している。現実的には今更俺が絡んで行くことはナイと言い切れる
けど。思い出すだけなら自由だからな 

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バンコクから。。。

2013/05/03 11:52
バンコクの三線仲間が描いた絵、今年の3月4日、三線の日に
皆で三線ミニコンサートをやったときに呼んでくれたときのヤツと
キーホルダーを作って送ってくれた。

唄三線はモチロン、料理も庭いじりも石鹸作りもビール作りも
まだまだ俺の知らないこともできる多才な人なのだが、毛糸を
求めていろんなところに行き、それでGETした糸でいろいろ
作ったりしている。

絵は早速、職場のデスクに飾った。俺がセネガルの民族衣装を
着ている絵だ。コンサートでは三線は持って行ってなかったのと
練習不足なので、別の仲間の1人の持ち物であるマレーシアの
太鼓を叩かせて貰った。俺のこの日の服装はバンコクで買った
アロハシャツを着て行った。でもこの絵の中の俺は、セネガルの
民族衣装を着ている。沖縄の三線とは全くミスマッチだが、この
格好は最も本来の俺に近い。だから限りなく俺っぽい。

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キーホルダーも色もデザインも、すっごく俺っぽいと思った。
気に入った。早速つけた。でも鍵ではなく毎日仕事に行く
時持ち歩いているカバンにつけた。

いつかタイ移住が実現したら、その時はこのキーホルダーに
バンコクの俺の自宅の鍵をつけようと思う。

TKO、ありがとう。その日が来るまで大切に使います。

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クアラルンプール旅行記ラスト

2013/04/02 11:48
クアラルンプール旅行記第6弾。番外編UPしました〜
このあとコタキナバルへ移動して3泊して、こっちも
カナリ気に入ったのだが、旅行記にするような感じ
でもない気がしてきたw ま、なるべくUPしまっす。
気が向いたら。

とりあえず番外編を、ドゾ〜。

http://4travel.jp/traveler/sugarcane96815/album/10762182


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クアラルンプール旅行記☆第5弾!!

2013/04/01 09:36
最近、メッチャ精力的に旅行記更新!!
今回はクアラルンプール第5弾☆

http://4travel.jp/traveler/sugarcane96815/album/10761984


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クアラルンプール旅行記第4弾!!

2013/03/31 04:53
クアラルンプール旅行記第4弾っす。
相変わらず、超長く、超主観的なKL日記。

http://4travel.jp/traveler/sugarcane96815/album/10760838


旅行記なんてめんどくせ〜と思ってたけど、けっこう
楽しくハマってマスw 自分の旅の想い出にもなるので
余計にいいカンジ。結果、他人には意味のない情報や
出来事もカナリこと細かく書いてあることになってるが。。

今日はこれから待ちに待ったアフリカン・ダンスのショーを
観に行く。しかもその前にはセネガル料理を食ってから!!

んぢゃ、そろそろ仕度してくるので、この辺で☆


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今日は旅行記ぢゃないよw

2013/03/27 09:39
最近、取り憑かれたようにマレーシア旅行記をUP
しているが、今日は旅行記UPのお知らせではない。

ま、それに関連してるけど。

職場の人に俺のマレーシア旅行記が載ってるサイトの
アドレスを教えようとして、サイトの名前やアドレスを
覚えてないので、ちょうど俺のこのBLOGからLINK
されてることを思い出した。でも、実はこの自分の
BLOGアドレスもロクに覚えていない。。

仕方がないので検索をかけたが、そのキーワードが
「ヤクザ」「息子」「ニューヨーク」だったw 自分のBLOG
検索するのにこのキーワードってど〜よ、と我ながら
おかしくなった。でもちゃんと無事出てきた〜 
1番ではなかったが(2ページ目)。。 ってか、他にも
意外とこのキーワードでヒットするBLOGがあってビックリだw

意外とNYはヤクザの息子の宝庫?! www


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クアラルンプール旅行記☆第3弾!!

2013/03/25 10:44
昨日に続いて早くもクアラルンプール旅行記第3弾完成!!
いつも通りあっちのサイトでもメチャ長いです☆ www

http://4travel.jp/traveler/sugarcane96815/album/10760336


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KL旅行記☆第2弾!!

2013/03/24 11:33
おとといも書いた、4TRAVELという旅行サイトに
クアラルンプール旅行記第2弾を書いたので
よかったらまた見てください 

http://4travel.jp/traveler/sugarcane96815/album/10759973


記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


マレーシア旅行☆その1

2013/03/23 11:39
今年も無事、恒例のタイ里帰り旅行1ヶ月とマレーシア旅行に
行って来た。

4トラベルという日本の旅行サイトに、今回のマレーシア旅行の
旅日記をUPしたので、もしよかったらみてみてください☆ 

もう最近カナリBLOGもサボりっぱなしなので、こっちも
なんとかしたいけど、とりあえずは旅行記を〜 
スライドショー画面の下のほうにある「コメントを表示」ってとこを
是非クリックしてお楽しみください。俺のいつものように
長ったらしい解説が読めますw つか、それがなかったら
つまんねーだろ!!むしろ写真よりそっちがメイン!!




つか、それで今、1回載っけてみたけど、なんかこの
スライドショー方式、見づらいな。コメントと写真も
別々だし。なので、その4トラベルサイトを直接
LINKしまっす。まぁ、お好きなほうでお楽しみを☆


http://4travel.jp/traveler/sugarcane96815/album/10759408/

そっちのSITEのPROFILEではシッカリ顔出し
しちゃってるから、このBLOGでは顔出ししない
とかさんざん言ってたけど、まぁ別にい〜やw
ま〜いぺ〜んら〜い!!


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セネガル人宣言!!

2013/01/11 15:03
子供の頃から今に至るまで、自分がナニジンかわからないと
言って来た。

でも、ここ数ヶ月でやたらと俺の中のセネガル人魂がメラメラと
盛り上がって来ている。

10代後半から10年間位はNYのセネガルコミュニティーで
セネガル・カルチャーどっぷりで暮らしていた。なんか最近
その頃が1番自分らしかった気がするし、楽しかった。モチロン
今も楽しいし、NYも日本もハワイもそれなりに好きだし、タイや
沖縄は大好きだ。それでもやっぱり俺のセネガルに対する
思いは別格だ。

サッカーの試合から天災、政治まで、何かあると真っ先に
気になるのはセネガルのことだ。それはここ20年以上
変わらない。

なにかあれば食べたくなるのはセネガル料理だし、街で
WOLOF(セネガルの言葉)が聴こえるとつい耳をそばだて
るし、懐かしく安心する。「オイ、こう見えても俺もWOLOF
わかるぜ!」と言いたくなる。

友達も家族同様でなんでも腹を割って話せる数少ないヤツは
セネガル人だ。でもこれはタイ人でも日本人でもアメリカ黒人
でも、沖縄人でも台湾人でもマレーシア人でもいる。

セネガルには1度も行ったことないし、セネガル人の血は知る
限り一滴も入っていないが、そんなの関係ねえ!!

これからもガンガン、セネガル人街道突き進みまっす!!w


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