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みんなの「セネガル」ブログ


セネガル里帰り再び!そして結婚!

2017/04/02 11:32
またまた数年ぶりの更新&報告☆

いつもはこの時期、タイに1ヵ月行っているが今年は
2度目のセネガルに1ヵ月ちょい行って来た。久しぶりに
家族と過ごしメッチャ楽しかった。

そして結婚。相手はセネガル在住のセネガル人女性だ。

ぶっちゃけ今回の1ヵ月ちょっとは俺の人生で最も幸せな
時間だった。結婚に浮かれて言っているワケではナイ。
20歳で最初の結婚をしてから結婚はこれで3回目だ。
前2回は離婚に終わったが、最初はそれなりに幸せだったし
他にも結婚には至らなくても付き合った女性もいてその時も
それなりに楽しかった。恋愛以外でも今まで毎日割と楽しく
過ごして来たと思うが、ここまで超絶幸せだったことはなかった。
ヒトってこんなに楽しくHAPPYになれるモンなんだ、と驚いた。

そもそも俺は恋愛至上主義ではナイので、いつも恋愛していないと
落ち着かないタイプではない。むしろ自分のやりたいことのためには
色恋なんか邪魔だ、と思っている。でも今の嫁と出会って一緒に過ごし、
本当に大切な人と共に歩む人生っていいなぁ〜とつくづく実感した。
これからもお互いの夢や将来の計画をすり合わせつつ、一生仲良く
幸せに暮らしていきたい。INCHALLAH。

そして結婚とは関係なく、今回の滞在でやっぱり俺はセネガル人だと
更に確信した。セネガルに住んだことはないし、行ったのも今回で
2度目だが、やはりダテに子供の頃からセネガル人家庭で過ごし
NYのセネガル人街で育ったワケではないのだ。考え方、話し方、
身のこなし、文化、食事、宗教、生活習慣、知識、どれを取っても
俺はやっぱりセネガル人だ。


嫁と俺

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俺の家族と嫁と俺。知らない人にはきっとセネガル人女性と結婚したアジア男と
嫁家族に映っていただろうが、実際は嫁でなく俺サイドの家族だ。なんでも見た目で
勝手に判断してはいけないという例w 

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セネガル旅日記LINK

2015/12/28 08:35
早速英語版はFBに、日本語版は以前ここでもLINK貼った
マレーシア旅行記を書いたSITEに投稿した!よかったら
見てください☆

https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11088282/
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 1


いよいよセネガル里帰り!

2015/12/27 10:35
2015年11月27日〜12月16日まで
やっとセネガル里帰り旅行に行って来た。

行く前に偶然、日本のTV番組で日本在住30年とか
いう外国人や日本で生まれ育った親が外国人という
子供たち(と言ってもほぼ大人)が全く初めてOR物心
ついてから初めて親の国に里帰りして、それまで
あまり関心がなかったルーツに触れるというものを
いくつか観て、自分もセネガルに行ったらそういう
カンジかなぁ〜?それとも実際に行ってみたら全然
違う、やっぱここは俺の国ぢゃね〜と思うのか、、?と
多少の不安を持って訪れたのだが、実際行ってみたら
文化や雰囲気からやはり俺の知ってるセネガルその
まんまで、行って2日目でもうまた来たくなった!

たった2週間半の滞在だったが、長年写真や電話での
声のみでしか知らなかった家族同様の人々と実際に
会い、話し、一緒にメシを食ったり寝たりして、マヂで
やっぱりセネガルは俺のルーツだと思えた。今まで
日本、アメリカ、台湾、香港、タイ、マレーシア、どこに
住んでも行っても、楽しくはあってもそこが自分の国、
文化とは思えなかった俺が、セネガルはNYで25年以上
セネガルコミュニティーやセネガル人家庭で暮らしていた
せいか、フツーにスッと入り込めた。

今回の旅で俺は100%セネガル人だと言い切れると
確信した。

来年の恒例タイ里帰りチケットはもう取ってしまっているので
2−3月の1ヵ月はいつものようにタイで過ごすが、もしまだ
タイのチケット取ってなかったら、再度セネガル1ヵ月行ってた、
絶対。残念。だけど、もちろんタイだって大好きだしね!こっちは
文化的に自分がタイ人とは思えないけど、見た目で相手が勝手に
タイ人と思ってくれるので心地よくて好き。家族ぐるみの友達一家も
いるし。

というわけで、今後はタイORセネガルに引っ越すまでは、
1年おきにタイとセネガルに1ヵ月ずつ行くぞ。

そのうちセネガル旅行記BLOGもどっかで作るので、できたらまた
ここにLINK貼ります。ここに書いてもいいけど、ここはあくまで任侠
BLOGにしておこうかな、とw


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やりたいことリスト そのB

2013/12/11 13:21
と、言うわけでこないだ、やりたいことリストその@と
AをUPした。今日はその第3弾にしてラスト。

コーランの章句114章までを全部正確に暗記する。

正直今までずっとムスリムでありながら、特にすごく宗教熱心と
言うわけではなかった。なので暗誦できない章がほとんど。
アラビア文字はなんとかわかるので、読むことはできる。でも
暗誦はできないのだ。暗記も大の苦手だしね。今更コーラン
朗読大会で優勝するまで、とは言わないが、どのSUURA(章)と
言われたらすらすら何も見ず全部言えるくらいにはなりたいと
いう意味だ。今後はちょっと真剣に取り組みたい。

それと同時に、前回の内容と少しカブるが、俺はセネガルの
民族衣装が大好きで、本来なら毎日どこに行くのにも着て
行きたいくらい。でもセネガル本国の純セネガル人でも
俺の年齢で毎日民族衣装という人は皆無だ。もっと年上でも
特に男は普段着はジーンズにシャツ、またはスーツだ。いつも
民族衣装を着ているのは、カナリの年配者で尚且つけっこう
敬虔なイスラム教徒という人ばかりだ。

モチロン一般の若者もイスラムのお祭りや身近な人の冠婚葬祭
などでは民族衣装を着る。俺もその時はフツーに着ている。でも
何もない時は俺の周りのセネガル人も皆フツーの格好だ。

ただでさえ、俺は見た目はセネガル人には見えない上、実年齢
よりもカナリ子供っぽく見える。しかもそこまで敬虔なイスラム教徒
でもない。この場合の敬虔というのは、メッカに巡礼も行き、人の
悪口も言わず悪態もつかず、1日のほとんどをALLAHとの対話
(お祈り)で過ごしているような人のことだ。それができてないのに
民族衣装で毎日過ごすのはなんだか大げさなカンジで不釣合い。

なので、今日決めた。

コーランの章句を全部暗誦できるようになったら、その日から
毎日民族衣装を着て過ごすことにしよう、と。もちろん着たく
ない時は着ないけど。暗記苦手だし、コーランは奥が深いので
何十年もかかるかもだが、全ての章句が全部暗誦できる頃には、
中身もそれに伴っていることを願いつつ、今、そう決めた。


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やりたいことリスト そのA

2013/12/10 13:20
タイに移住したいとうわ言のように言い続け7年
ほどが立っている。でも全く移住のメドは立って
いない。

まぁNYの生活もなんだかんだ言いつつも意外と
快適で、特にそこまで不満もなく生活している
からだろう。

でも実はもう1つだけNYを離れるのをためらう
理由があった。なんとなく解決策がみつかりそう
なので、過去形にしたが、それもうまく行く保証は
ナイ。

それは、NYにあるようなセネガルやアフリカンの
コミュニティーがタイにはないからだ。バンコクの
アラブ人街を歩くとアフリカ系の人たちとすれ違う
ことはあるが、NYのようにレストランや布地屋、
学校などがあるほどにはたくさん在住アフリカ人は
いないと思う。だいたいが買い付けなどで来ている
短期滞在者が多いようだ。

タイのニュースなどをみるとアフリカ人のDRUG 
DEALERが多い印象があるが、それはまた別の
ハナシ。これは書くとまた更に長くなりそうなので
割愛。ひとことだけ言わして貰えばNEWSで報道
されてる程、アフリカ人だけがDRUGやオーバー
ステイの問題を抱えているわけではない、ということ。

どっちにしてもNYに比べてバンコクはアフリカ人の
絶対数が圧倒的に少ない、つまり俺に取っては
アフリカ文化に接する機会がグッと減るということだ。

それがけっこうネックになっていた。でも友達に言ったら
「タイでセネガルレストランでもやればいいぢゃん!」との
ことで、そうすれば、自然とアフリカ人も集まって来て、
自分でそういうコミュニティーを探さなくても自分の店が
溜まり場になってくれるかも知れない。でもビジネスやるの
大変そうで、サラリーマンのが楽でいい!と思っている
俺には向かないかも知れないが。。でも、まぁそういう道も
ある、と頭の片隅に置いておくことにする。

なので、もしそれがうまく行けば一石二鳥。タイで暮らすための
仕事&アフリカ人の溜まり場の2つがイッキに手に入るのだ。

そんでその仕事が軌道に乗ったら、それを貯めた金で
セネガルに学校を建てる。たぶんダカールのような都会では
なく、あまり学校に通う機会がない子供らが多そうな地域に。

モチロン、ただの学校ではなく、アフリカの歴史や文化、言葉
などを中心に教える学校だ。アフリカは北のアラビア語圏と
東のエチオピアを除いては文字がないので、どうしても書き言葉は
フランス語や英語など元植民地の言葉になってしまう。以前
アラビア文字を使おうなどという運動もあったが、クリスチャンも
多いので、必ずしも賛成意見が多いわけではなくなかなか
形にならないで今に至る。

今となっては好むと好まざるとにかかわらず、英語やフランス語は
できても損はないし、敵(?)にいいように使われないためには
敵の言葉が理解できればそれはだいぶ減ると思うので、俺は
英語やフランス語教育はやってもいいと思っている。しかも1つの
国にいろんな民族の暮らす国がほとんどなアフリカ諸国は地元の
言葉1つにしても、多様なので1つに絞るのも難しい。まぁ1つの
国にいろんな言語の民族が混ざってしまったのは、ヨーロッパの
植民地政策にも原因はカナリあるのだが。ここではそんな
恨み言を言っても話が進まないので恨み言はまた今度w

とにかく言語はどうあれ、アフリカ的価値観の教科書で
学べるようにする。つまり、今まではセネガルで言えば
教科書はフランス語でフランスからのものを使っていれば
出てくる人は、ミシェルやジャン、ギョームなどフランス人の
子供たちで、フランスの習慣に則った内容のモノで勉強
させられていた。挿絵も金髪の子供の絵ばっかりだったり
して。実際にはその教科書を使っているのは、ウスマン
だったり、ビントゥだったりアブライするのにも関わらず。。
そしてフランス中心でキリスト教的なモノの見方を知らず
知らずのうちの押し付けられる。95%以上の国民が
黒人のイスラム教徒なのに。そんなのおかしいだろ。

というわけで、まずは教科書から変える。最近では
セネガルも小学校まではセネガルで作られた教科書で
勉強しているようで、そんなことはないようだが。高等
教育以降は相変わらずフランスからの教科書を
使っているようだ。まずはそれを廃止。幼稚園から
大学院まで、アフリカ人のための教科書で勉強する
べき。ちゃんとアフリカ人の視点からみたアフリカ史や
世界史などもしっかり教えて欲しい。あとは俺はムスリム
なので俺が作る学校ではコーランやアラビア語やイスラム
的価値観のクラスも当然義務。生徒の宗教はなんでも
通えるが、このクラスは義務なのでイヤならヨソの学校に
通って貰う。別の宗教が学べる学校はその人たちが建て
ればいい。まあ一部地域を抜かしてほとんどの国民が
イスラム教徒なのでその問題はあまりなさそうだけど。

ついでに自分たち民族の言語や踊りが楽器なども
選択で選べるようにする。ついでに三線も教えちゃおうw 
沖縄から講師呼んだり交換留学なんかもしたりして。
と、以前、NYの三線仲間で盛り上がったっけ。これも
実現する!

1つの学校がうまくいったら2つ目の学校、他の街、
アフリカ全土、と次々に広げて行く。というこんなプランだ。
いや、プランなどというおとなしいモノではなく、野望だ。

モチロン、貧しいからかわいそう、とかいう変な同情や
「援助」という気持ちはイッサイない。俺にとってアフリカは
そういう他人事ではナイのだ。

俺に取ってはセネガルは故郷(ふるさと)だから今の俺が
なんとか幸せに暮らしてる恩返しとして、何か役に立つことを
したいし、アフリカ人や黒人の文化や人々の良さが今の白人的
価値観中心の世の中で正当に評価されていないと思うので、
それをただしたい。

今のところ知る限り自分の子供もいないし、たぶんこれから
作る気もないので、せめて故郷(アフリカ)の人々の役に立つ
モノで長く残るモノ(形としてだけでなく心にでも)を作り残し
たいというのが理由かな。


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やりたいことリスト その@

2013/12/06 12:57
まず最初に今日はNELSON MANDELA氏が
亡くなったというNEWSを夕方きいた。まだ会社に
いた時だ。年齢も年齢だし(95歳)長い間病気だった
ので、仕方がないとはいえ、1つのHISTORYだった
なぁと思う。本当にお疲れ様でした&ありがとうござい
ました。貴方の業績は一生忘れません。という言葉を
送らせていただきたい。

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話は変わって。こっからは俺の個人的なハナシ。

自分がナニモノで今後どう生きて行きたいかが最近
やっとクリアに見えて来たと、こないだ書いたが、その
1つを今日は書く。

一応BLOGという形で一般公開はしているが、ただの自分のための
覚え書きなので超個人的な内容だ。あとゲンを担ぐわけではないが
なんか皆に話してしまったら実現しないような気もしてちょっと気が
引けるのだが、そんなんでダメになるならきっと別のことでもダメに
なってしまう程度のモノだろうから、あまり気にせず書くことにする。

まず、自分がナニモノがと言うことだが、やっぱり俺は
アフリカ、中でもセネガルのカルチャーが自分の中では
シックリくる。

実際の血はアメリカ黒人と日本人だが、日本では色が
皆より黒いということで、イジメまでは行かないが、なんか
変人扱いを子供の頃からされてきた。肌の色のせいだけ
ではなく、家が4代続くヤクザということや、アメリカと日本を
行ったり来たりして育ったり、またアメリカでもハワイという
本土よりはアメリカっぽさに欠けるというような特殊な環境
だったりで、当時周りに帰国子女という人たちやミックス
(ほとんどが俺のようなクォーターでなくハーフだったが)
という人たちもいるにはいたが、そのほとんどが欧米、つまり
白人とのハーフや白人の国からの帰国子女だったこともあり
その中でも異端だった。あとは自分の持って産まれた性格も
あるかも知れないが。

とにかくアメリカに来て黒人の中に入れば自分は排除される
側や少数派ではなく、多数派のほうに入れるとばっかりずっと
思ってきた。18歳で1人NYに引っ越して来るまでは。

NYに引っ越して来た時、ハワイ(米軍基地以外にあまり黒人は
いない)と違って黒人がたくさんいるNYに住むことになってとても
嬉しかったし楽しみにしていた。

でも実際来てみたら、それほど歓迎はされなかった。例えば
当時黒人の若者の間で流行っていたマルコムXのXをかたどった
帽子やバギーなカッコ、ドレッドヘアなどをしたり、アフリカ的な
(完全な民族衣装ではなく、あくまでもアフリカっぽいというか
アメリカ黒人が思っているアフリカ的ファッション)格好をしていると、
アメリカの黒人から「アジア人のくせになんで私たちのファッションを
取るの?」的な視線やイヤミを言われたことも何度かあり、また逆に
褒めて貰えたとしてもあくまでも「黒人文化の良さがわかる珍しい
アジア人」的扱い、つまり黒人とは見られていない、という現実を
突きつけられ、血は1/4だけどすっかり自分では中身はほとんど
100%アメリカの黒人、とそれまでずっと思って来た思いがすっかり
しぼんでしまった。

モチロン俺に黒人の血が入ってるとわかると、黒人とみなして
仲間扱いしてくれる人たちもいたが、全体からすると少数だった。

とにかくそんなこんなで、ずっと自分がその一部だと思っていた
アメリカ黒人たちからヨソ者扱いされて、ショックを受けている
ところへ、NYのセネガルコミュニティーの人たちと知り合った。

彼らは本国アフリカで、元ヨーロッパ植民地ではあったものの
アメリカの黒人ほどは白人から迫害されていなかったせいか
アジア人の見た目の俺がアフリカ的なファッションをすることに
なんの抵抗もなく、すんなり仲間として受け入れてくれた。
もちろん見た目がアジア人なので、最初は「なに、コイツ?!」
的な人もいることはいたが、数も少ないし、家族のように仲良く
なったセネガル人たちが「自分の息子だ」「弟だ」などと皆に
紹介すれば、皆も「ウソだろう!見た目違うし!」などと無粋な
ことは言わず、「ああ、そうなの?」と言ってすぐ受け入れてくれた。
モチロン、本気で息子や弟と思っていたわけではないが、
そんなことはどっちでもいい、とにかくアンタは俺たちの一員だ、
という扱いだったので、俺もとても居心地がよかった。その頃
いろいろな事情で日本の親ともけっこう疎遠になっていたので
余計にセネガル人の中にお互いに家族と呼び合える人たちが
できたのは嬉しかった。

でも1番かわいがってくれた母親のようなカンジだった
おばさんが急死したり、セネガル人と離婚したり、他にも
兄弟のような関係だった友達が別の州に引っ越したりした
のと、他にも俺の個人的な事情もあり、しばらくセネガル
コミュニティーから離れた。

その頃ちょうど日系企業に就職したこともあり、だんだん
日本人の友達が増え、日本人コミュニティーにもだいぶ
出入りするようになった。どっぷりという程でもなかったが。

その後タイに旅行に行ったら、予想外に気に入ってしまい
毎年行くことになったり、沖縄の三線を始めたこともあり
アジア系や日本人(沖縄人)の友達も増えたので余計に
アフリカコミュニティーとは遠ざかることになった。意識して、
ではなく自然に。

それから今に至るので、今もけっこう日本人の遊び仲間は
多い。でもやはりその間も自分を日本人とは思ったことは
1度もなく、ただ俺のような見た目がアジア人というヤツが
日本人の中にいる限りは、日本人のふりをしていたほうが
溶け込みやすいカンジがしたので、あえて黒人的な部分は
主張しなかった。MIXEDだということは言ったがあくまで
中身は日本人と相手に思わせるような言動をしたり、
へたしたらMIXEDということすら言わなかったりもした。

日本人以外の人々、白人や黒人なども俺の見た目から
俺にアジア的、日本的なモノを求めるので余計に日本人の
フリ、日本文化を自分のモノにしてる人のフリをしたほうが
楽かなと思ったけど、やっぱそれは俺の本当のカルチャー
ぢゃないのでムリ。やっぱりどう考えても俺の1番シックリ
来て、俺をあらわせて受け入れてもらえるカルチャーは
セネガル(アフリカ)なのだ。

そう再認識した数年前から「リハビリ」と称して再度NYの
セネガル人コミュニティーに入り込んでいっていた矢先、
やっと重い腰をあげて部屋の大掃除をしたら20年以上前の
セネガルの新聞が出てきたり(モチロン俺が読んでいた)他にも
服、アクセサリー、雑貨、雑誌、家族同様だったセネガル人たちとの
写真や彼らからの手紙など、いろんなモノが出て来て「俺って
こんなにもセネガル人だったのか!」と自分でも驚いた。他にも
アメリカ黒人絡みのモノもたくさん出て来て、今回どれも古いモノ
なので全部捨てたけど(21年前のセネガルの新聞と写真以外)
こないだからくすぶり始めていたセネガル人宣言に拍車が
かかった。

今までは、ただのカブレたイタイヤツ、とか思われたり、日本人や
アメリカ黒人からの風当たりを気にして遠慮していた部分もあるが
これからは、堂々とそういった生き方をしていこうと決心した。と
いうか、決心という大げさなものというより、自然にそう思えた、と
言ったほうがより正確か。

実際、日本人やアメリカ黒人たちがどう思おうと、当のセネガル人
たちからは最初こそ「アンタ、なんでアジア人なのにWOLOF
(セネガルの言葉)しゃべれんの?」などとヨソ者扱いされても
「なに言ってんだい、俺はセネガル人だからしゃべれるにまってる
ぢゃん!」と言ってしばらくしゃべれば、皆、「やっぱアンタは
セネガル人だな」と言って来てヨソ者扱いは皆無になる。だから
なにも他人、特にセネガル人でもないヤツの思惑など気にして
遠慮することはないのだ。

数年前会社の同僚でちょっと空気が読めないオッサンが、俺が
MIXEDで日本とアメリカを行ったり来たりして育ったのを知って
いるにもかかわらず、「今度皆で自分のカルチャーのモノを
身に着けてくる日を作ってなにかイベントやろうよ!」と言った
ことがあった。その人自身は東南アジア出身で大人になって
からアメリカに移民してきたいわゆる1世だ。

その時の俺は。自分の心は100%なんの迷いもなく俺の
カルチャー=セネガルの民族衣装と思っていたのに、たぶん
どうせ皆、俺が日本のモノを身につけてくるのを期待するんだろう、
という絶望的な気持ちから、「ヤダよ。俺みたいなMIXEDのヤツは
何を着てくりゃいいんだよ」と言って反対したことがあった。それが
理由かは知らないが結局そのPLANは立ち消えになってしまった。
でもその時のその人の答えはおもしろかった。普段はこの人の
発言がおもしろいと思うことなど全くないのだが。。

「複数のカルチャーのモノ全部身につけてくればいいぢゃん!」
と言ったのだ。そしたら何になるかな、セネガル、イスラム、タイ、
ハワイ、日本、アメリカ黒人、沖縄。これを全部いっぺんに身に
つけたらもうそれこそ何がなんだかわかんなくなって、それがまた
俺を正確に表してるようでイイかも知れない、と思った。

つか、吹っ切れた今となっては実は、是非このイベントやりたいと
思っている。今なら誰の思惑など気にすることなく、堂々とセネガルの
民族衣装1本で行けるからだ。


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セネガル人宣言!!

2013/01/11 15:03
子供の頃から今に至るまで、自分がナニジンかわからないと
言って来た。

でも、ここ数ヶ月でやたらと俺の中のセネガル人魂がメラメラと
盛り上がって来ている。

10代後半から10年間位はNYのセネガルコミュニティーで
セネガル・カルチャーどっぷりで暮らしていた。なんか最近
その頃が1番自分らしかった気がするし、楽しかった。モチロン
今も楽しいし、NYも日本もハワイもそれなりに好きだし、タイや
沖縄は大好きだ。それでもやっぱり俺のセネガルに対する
思いは別格だ。

サッカーの試合から天災、政治まで、何かあると真っ先に
気になるのはセネガルのことだ。それはここ20年以上
変わらない。

なにかあれば食べたくなるのはセネガル料理だし、街で
WOLOF(セネガルの言葉)が聴こえるとつい耳をそばだて
るし、懐かしく安心する。「オイ、こう見えても俺もWOLOF
わかるぜ!」と言いたくなる。

友達も家族同様でなんでも腹を割って話せる数少ないヤツは
セネガル人だ。でもこれはタイ人でも日本人でもアメリカ黒人
でも、沖縄人でも台湾人でもマレーシア人でもいる。

セネガルには1度も行ったことないし、セネガル人の血は知る
限り一滴も入っていないが、そんなの関係ねえ!!

これからもガンガン、セネガル人街道突き進みまっす!!w


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アフリカ三昧な週末

2013/01/08 14:47
金曜日、ソウルフードレストラン、AMY RUTH’Sで夕飯の
約束があったので会社の帰りにハーレムまで行った。だが、
待ち合わせの相手がなかなか来ず、しかもケータイに電話しても
全く繋がらず、今どこにいるのかもわからない。当日の昼間に
相手から確認のメルが来たので忘れているということはありえない。
一瞬、相手が店を間違えたかとも思ったが、それも事前に確認
したので、ありえない。店は予約を取らない店だったので、予約を
取っていなかった。他にも何人か来ることになっていたが、誰が来れて
誰が来れないのか聞いていなかったので何人来るのかもわからない。

一応、店の中に入って店員に訊いてみた。店の中を見て来ていいと
言ってくれたので、2階まで見て来たが知った顔は1人もいない。
何人来るかもわからないので、先に席を取って座って待っている
ワケにもいかない。それに俺はレストランやカフェに1人で座って
いるので大の苦手だ。1人で飲み食いはモチロン、ただ座っている
のも超苦痛。外は氷点下で風も強くメッチャ寒いし、もう真っ暗だ。

しばらく店の中と外を出たり入ったりしていたが、なかなか来ないし
電話もかかって来ない。どうしたモンかと思ったが、幸いなことに、
ここはハーレムの116丁目。通称リトル・セネガル。俺の庭だw

まずは、セネガルのコメディ番組のDVDでも買おうかとDVD屋を
目指した。少し見ていたが気が変わり、服を新調することにする。

AMY RUTH’Sの2軒ほど隣にある、前から気になっていた
セネガルの民族衣装を売っている店に入る。いろいろ物色し
結局2つ試着して、気に入ったほうを購入。裁断や縫製も必要
なので、採寸して貰っている最中に、待ち合わせの相手から
電話が来た。仕事の関係で遅れたらしく、まだオフィスにいる
らし。他の人たちも一緒に待っているとのこと。まだそれから
30分くらいかかるというので、そのまま採寸を終わらせ、
125丁目のBANKまで行って金を下ろしてきた。モチロン
その服の代金だ。そんな買い物するつもりで来なかったので
そんなにCASHを持っていなかったからだ。

店の人が、俺がBANKに金を取りに行っている間に仮縫いを
しておいてくれるというので、BANKに行ってもうすぐ店に
戻るというところで、待ち合わせていた知人からTELがきて
もう皆、着いて店に入ったとのこと。

AMY RUTH’Sはソウルフードの店なので、俺の祖父母の
家で食っていた料理が中心だ。懐かしくてウマイ。他の人たちは
あまりなじみのない人もいたので、皆で違うモノを取ってシェア
した。俺はBEEF SPARE RIBSとMAC N CHEESEと
GREENS。全部ウマーだった!!

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その後、服をPICK UPして帰宅。家で試着したら上に着る
モノの裾が少しと袖がカナリ長かった。と、言うのも上に着る
ヤツの採寸はテイラーが「だいたいわかる」と言ったのでしな
かったのだ。裾はほんの少し長い程度なので別に引きずる
程ではないが、もう少し短いほうが動きやすいかと思った。
袖に至っては切るのを全く忘れているw 今度の木曜日にも
またセネガル料理を食いに近くまで行く予定があるので、
その日に持って行って直して貰おうと思っていたのだが、
AMY RUTH’SでのDINNERのあと帰宅し、友達に予想外
のイキサツで民族衣装を買った話をしていたら、友達が
自分もアフリカの布など見たいというので、急遽翌日の
土曜日、またまたハーレムへ。

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まず、昨日の洋服屋に寄って、昨日買った服とずっと前に
全く別のところでGETした民族衣装のズボンがやはり長かった
ので、ついでにそれもDROPしてきた。その後116丁目にある
アフリカの民芸品専門のストリート・マーケットのようなところで
友達は民族衣装を買い、俺も友達も布を買った。その後125丁目の
別の布地屋まで歩き、また116丁目まで戻ってセネガル料理の
店で初めて入る店で遅いランチ。俺はいつもよく食うチェブ・ジェン。
友達はチェブ・ギナール。ウマかった!服は今日は仕上がらないと
言うので、木曜に来るからと言って帰って来た。

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金曜日にソウルフードに行った知り合いたちも土曜にセネガルの
ところに行った友達も皆、日本人だ。日本の人たちにアフリカや
黒人の歴史やいいところを知って興味持って貰えるのは嬉しいな〜。
本当の姿を知って貰えれば、差別する人も減ると思うのだ。だって
素晴らしい文化だから☆

友達はその後、家に帰ってから民族衣装を着て、同じ布でできた
スカーフを巻いた写真を送ってくれたが、すごく似合ってた。やっぱ
世界中の人が着るべき!!笑 こないだのLONDON OLYMPIC
でも、アフリカの民族衣装(本当に伝統的なヤツね、今風にアレンジ
したヤツでなく)が1番美しかった。OLYMPICは興味ないけど、
入場行進で各国の人たちがそれぞれの文化を強調しながら入って
来るのを見るのは昔から大好きだ。

友達もなかなか気に入ったようで、もう1着欲しいと言っていたので
近々また行く予定〜


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不法移民

2012/10/25 17:31
さっき、YOU TUBEをBROWSEしていたら、中島みゆきの
歌でカナリ気に入った歌をみつけた。早速DLしてここにも
UP。これから先はこれを聴きながら読んでくださいw 



その後、ずっと前に偶然発見して気になっていた動画の
ことを突然思い出して観てみた。

内容はセネガル(西アフリカ)の人々が不法移民として
ヨーロッパ(その動画では主にスペイン)にカヌーのような
小さい船で渡るという内容のモノだ。

セネガル人に限ったことではないが、不法移民の大部分が
好きで自分の家族や国を去っているわけではないだろう。
不法移民ゆえ、いったん外国に入国したら、よっぽどの
ことがない限り、おいそれと自分の国に帰ることはできない。

帰る金もないし、その国を出てしまったら苦労して来た
意味がない。しかも、その旅も小さなカヌーのような船では
命がけだ。途中で転覆して乗組員全員が死んでしまうことも
多々あるという。

一昔前に流行った日本人や先進国の若者で外国で不法滞在で
バイトなどしながら住む人たちとは違うのだ。彼らはその気な
らいつでも自国に帰れるし、元々家族の生活を担うために、外国に
来たワケではない。自分たちが好きで来たのだ。

セネガルやセネガルの人々は俺にとっては自分の国と言える
くらい身近なので余計感情移入して観てしまう。

動画の中で笑顔でインタビューに答えたり、不安そうに船に乗ってる
人たちの顔も知り合いはいないが、知り合いや家族同様の付き合いを
している連中となんとなくカブる風貌の人たちもいる。カヌーのような船の
名前も馴染みのある名前がヘタくそなローマ字やアラビア文字で書いて
ある。俺が持ってるTシャツと同じ(セネガル製)のを着てる人や、ウチに
飾っているポスターと同じモノがその人の部屋に飾られていたりしたら、
やはり他人事とは思えないのだ。

セネガル人たちが小さい船にたくさん乗ってやっとスペインの
港につくと、そこはリゾート地なので旅行に来ている白人の
観光客たちがおもしろがって?その様子をカメラやVIDEOに
撮ったりしている。

いまだに白人による黒人への搾取が続いている。人権を蹂躙されて
いる気になる。カメラに撮ってどうするのだ、ジャーナリストでもない
のに。旅行から帰って、笑いながら地元の連中に「かわいそうな
黒人たちがこんなふうにして密航してきた」とでもハナシのネタにする
つもりか?!それとも「迷惑な連中だ!ヨーロッパ人自身が職に
あぶれているヤツが多いっていうのに!」と、自分たちの無能を
移民のせいにして正義感ぶって怒るのか?!まぁそれは俺の
被害妄想&考え過ぎかも知れないが。

内容だけでも胸が痛いのだが、その動画につけられたコメントが
またひどい。ほとんどがスペイン人のモノだろうけど(スペイン語での
書き込みが大量にあったので)今時珍しい程RACIST(人種差別的)な
発言が多い。

スペイン語はわからないので英語の部分だけざっとみたが、
国や家族を置いて、遠く離れた文化も言葉も違うところ、しかも
おそらく自分のことを歓迎していないだろうとわかっているところへ
好きでもないのに行かざるを得ない人たちの状況や心境に同情的な
意見はほとんどなく、基本は「黒人やイスラム教徒はヨーロッパには
来るな、誰も歓迎しない」という内容のモノだ。

こっちだって誰が、あんたらの国なんか行きてえかよ、あんたらが
長期間の奴隷貿易や植民地にしなかったら、今こんなに貧困で
苦しんでいないから、大切な家族や慣れ親しんだ地元を離れ、
あんたらみたいな腐ったヤツらがいる国になんか行くか!!

よっぽどそう書き込もうと思ったが、俺が書くことで他のアフリカ人に
迷惑がかかったらイヤなのでなんとか抑えた。もしくはもっと過激な
ことも書きそうになったが、腕を押さえたり、コーランのSITEを見たり
前述の中島みゆきの歌を聴いたりして気分を落ち着けたww 偶然
だが、この歌詞がこの動画やコメントにピッタリなのだw 特に動画。
動画の音声を消して、この曲をBGMで観たりしたくらいだw 特に
最初のほうの動画。今も文章を書きながらこの曲を繰り返し繰り返し
聴いている。途中入ってる芝居みたいなセリフが邪魔だが、、w

でも、またよせばいいのに、不法移民動画からLINKしている別の
似たような動画をCLICKしてしまい、そっちの動画はまだちゃんとは
観ていないんだけど、コメントのほうは少しチェックしてしまった。

そしたら、とんでもないクソが「ボートにミサイルでも撃ち込んで全員
殺してやればいいのに」とか「イスラエルがやったみたいに(そうなのか?)
全員殺して船に乗せ返せ」というよなことを書いていやがったので、
ついカッとして、「てめえが先、死ねや。臆病で役立たずのクソが!」とか
「差別主義者め」と書き込んでしまったw いつもはなんとかスルー
するのだが。。

通報されてアカウント削除されるか、ハッキングされるかな〜? とか
書いてから思ったがもうどうでもいいわぃ。するならしろ。イモ引いて
自分で書いたコメント削除するくれーならハナから書かねえし。

ホントは「うちの組のヤツらに殺されればいいのに」とかも書きそうに
なったが、今はそういう発言にウルサイのでヤメた。暴対法とか暴排
条例とか、マヂ、メーワクだし。アホに言いたいことも気軽に言えない。

ちなみにその動画はコレ





モチロン、バカなヤツらはどこにでもいるしそんなんイチイチ
相手してたらこっちがバカみたい、という考え方もあるのは
わかる。でもそんなオシャレなことを考えてる場合ではナイ
のだ。どうせコンコンと説得したってわかろうとしないヤツに
何を言っても無駄。目には目を。バカにはバカを、だ。モチロン
俺が書き込みしたところで、こんなクソには何も響かないだろう。
でも、俺の自己満でいいのだw

たぶん自国でいい思いをしていないルーザー(負け犬)なんだろう。
だからそのうっぷんを移民のせいにしているだけだとはわかって
いても、やっぱりハラが立つ!しかもそういうコメントにLIKEが
いっぱいついていたりするから救われない。狂ったようにDISLIKEを
100回くらい押してやったw

今更、昔の奴隷貿易や植民地の補償や賠償をしろとは思わない。
でも、今こういう状況なのは明らかにその時のことが尾を引いて
いるんだから、責めて暖かい目で見守るくらいできねーのかな。
VISAを出せとか不法移民を受け入れろとは言っていない。ただ
家族のために必死の思いでやって来た人たちを移民排斥感情で
リンチして殺したり、そういうNEWSを観て心無いコメントを書いたり
するのは控えて欲しいだけだ。そんなに特別なことを希望して
いるか?ヒトとしての心を持っていたら当たり前ぢゃね〜か??

つか、相手を呪ってばかりぢゃなく、本当にこの悪循環から脱却
するためになにかがしたい。

アフリカのヤツらにも言いたい。こんなクソしかいねえような国に
ワザワザ行くことねえぢゃん。もっと現実を見ろよ!!と。確かに
ヨーロッパ行って成功した一部の人を見て、自分もこうなれるかも、、
と若い連中が思うのは止められない。

でもそんなのはほんの一握りだし、それを手に入れるための
代償はあまりにも大きい。秤にかけたら失うモノのが大きいと思う。

だから俺は、今、セネガルにいる若い連中がアメリカや日本はともかく
ヨーロッパに行きたい!と言っているのを聴くと、必ず止めている。
それよりまだアメリカかアジアに行きなよ、と言うのだが、距離的に
ヨーロッパが近い、言葉もフランス語は皆わかるので、フランスか
近隣諸国ならまだ英語や日本語をイチから習うよりは楽なこと、スデに
先人たちが気付いた不法移民ルートができていることなどから
どうしてもヨーロッパに流れてしまうようだ。長年の植民地支配で
刷り込まれた、ヨーロッパに対する憧れのようなモノもあるのかも
知れない。しかも俺がそいつらやその家族の面倒を見てやれる
ワケぢゃないので、あまり強くも反対できない。。

あ〜、こんなことならちゃんと学生の頃勉強してアフリカやその他の
搾取されて来た途上国と言われてる国々の役に立てるような知識や
技術を身につけておくんだった。

それか実家の組を継いでデカくして、その金でなんかできたかも!

とか、ヘンチクリンなことを考えてしまうのだw

でもまだ遅くはないぞ。特に前者は。なにかやろうと思えばやれる
のだ。今まで、自分がコレ、と思ったモノはほぼ不可能なモノでも
手に入れてきた。やってできないことはないだろう。

いつもはいろんな読み手を意識して書いているので、読み手が
不快にならないように書いてるけど、今日はカンベンして貰う。
コレは俺のBLOGだ。不快に思ったら途中で読むのヤメてくれ。
つか、ここまで来たらもう遅いけどw

とは言え、別にスペイン人をはじめヨーロッパ人皆が悪いヤツって
ワケでもないので、そういう人たちやその周辺の人たちのことは
傷つけたくないので、これでも表現は控えたつもりだ。

最後に、アメリカでの話だが、18年近く前、俺の親戚筋に当たる
セネガル人が他人のパスポートでアメリカに入国しようとして税関で
捕まりw、2週間程収容施設に入れられたが、中は意外と快適で
監視員も優しく、持病の薬も処方してくれ、セネガルで貰う薬より
いいヤツだった!と言っていた。

モチロン国と国との関係も絡んで複雑だし、俺たちアメリカ人の
血税を使っているワケだが、なんだかんだで、不法でやってくる
アフリカ人もしたたかだし、白人側も酷い扱いばかりをしている
ワケではないことを付け加えておく。

アフリカの未来に幸あれ!!


奴隷貿易当時の様子

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奴隷貿易の拠点になったセネガルのゴレ島

奴隷船を待たされる間、何十人もが鎖で繋がれ
押し込められていた部屋と通路

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この出口からアフリカ各地から集められた人間たちが船に
積み込まれ、アメリカやカリブに送られた。2度とアフリカに
戻ることはなかった。

俺の遠い祖先もここを通ってアメリカに来たのかも知れない。
彼らの血と涙のお陰で今、ここに俺が存在しているのだ。


現在のゴレ島沿岸

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ダカール市内

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セネガルのイスラム教ムーリッド派の聖地 TOUBA

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新セネガル民族衣装ゲト〜!!

2012/06/21 11:25
前回のBLOGにそろそろ新しいセネガルの
民族衣装が欲しいな〜と書いたら、昨日、
ひょんなことからイキナリげっと!!

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コレ↑

最近のトレンドは、生地もコットンかなんかで
軽くて涼しく、デザインも西洋風というかなんだか
和風だかアジア風にも見えるような生地を
使い、長さも本来は足首くらいまであるのだが
最近のはヒザ上くらいの長さのモノが流行らし。

実は俺は生地も長さなどの形も従来のトラディショナルな
モノのほうが好きだか、今はなかなか手に入らない
みたいだ。モチロン、セネガル本国に行けばたくさん
あるだろうが、NYでは。

トラディショナルなのはこんなカンジ↓

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最近風のデザインのモノも古いモノも、この下に
上着と同じ生地の長いズボンがつく。ウエストを
紐でしばるタイプのダブダブしたヤツだ。

滅多に着る機会はナイけどやっぱり民族衣装は
いいな〜。今度日本のとタイのも欲しい。


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